今日、投稿した2つのブログはこちらです!
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1 新・大前研一名言集(改) 『お金の流れが変わった!』(05)
「BRICsやVITAMINに代表される新興国は、
5000万人以上の巨大な人口を抱え、
平均年齢が25から30歳前半である。
低賃金ではあるが優秀な頭脳、
または勤労意欲を持つ国々なのである。
人材に恵まれていても政治が貧困で
国内に雇用機会がなかったインド、
フィリピン、コロンビア、トルコなどの国が
ここに入ってきたのは、ひとたび政治と経済
が安定し、経済成長の兆しが出てくると、
出稼ぎに行っていた人材が大挙して戻って
くるからだ」
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2 言葉の迷宮 『マキアヴェッリ語録』 塩野七生 (08)
「次のことは明言しておきたい。
すなわち、危険というものは、それがいまだ芽であるうちに
正確に実体を把握[はあく]することは、言うはやさしいが、
行うとなると大変にむずかしいということである。
それゆえはじめのうちは、あわてて対策に走るよりもじっくり
と時間かせぎをするほうをすすめたい」
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マキアヴェッリ語録について、作家・塩野七生さんは冒頭で、
次のように語っています。
「この『マキアヴェッリ語録』は、マキアヴェッリの思想の
要約ではありません。抜粋です。
なぜ、私が、完訳ではなく、かといって要約でもなく、
ましてや解説でもない、抜粋という手段を選んだのかを
御説明したいと思います。
第一の理由は、次のことです。
彼が、作品を遺したということです。
マキアヴェッリにとって、書くということは、生の証[あか]し、
であったのです。
マキアヴェッリは、単なる素材ではない。作品を遺した
思想家です。つまり、彼にとっての「生の証し」は、今日
まで残り、しかもただ残っただけではなく、古典という、
現代でも価値をもちつづけているとされる作品の作者でも
あるのです。生涯を追うだけで済まされては、当の彼自身
からして、釈然としないにちがいありません。
抜粋という方法を選んだのには、「紆曲」どころではない
マキアヴェッリの文体が与えてくれる快感も、味わって
ほしいという私の願いもあるのです。そして、エッセンスの
抜粋ならば、「証例冗漫」とだけは、絶対に言われない
でしょう。
しかし、彼の「生の声」をお聴かせすることに成功した
としても、それだけでは、私の目的は完全に達成された
とはいえないのです。マキアヴェッリ自身、実際に役に立つ
ものを書くのが自分の目的だ、と言っています」
マキアヴェッリの『君主論』などは古典です。
私たちは古典を読み、現代に読み替えて、自ら考えることを
習慣づけないといけない、と思っています。
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